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活動一年目に思うこと

 少し照れくさいタイトルではありますが、私は約一年をこのインターネットにおける音楽活動に全力を注いでやってきました。  多くは語れないですが、私は以前に知人と組んで似た活動をしていたことがあります。  その時は、ただの趣味としての意味合いが強く、ネットの反応を楽しんでいるという感じでした。  その活動では失敗もしましたが、その経験が現在に生かされていると言えばそうなのかもしれません。

 そして、私は作曲家を志しました。そのことがきっかけでそれまでの活動は辞めて、プロになるためのソロ活動を始めました。  この一年少なくはありますが、確かに歩んできたと感じています。  その中で多くの方と出会い、その活動に心を打たれ、現在のインターネット界隈の厳しさを知りました。

 ここから先の話は私の生き方を話す必要があります。  私は作曲家を志す前に教員を目指していました。作曲家を目指す直前は、中学高校の教諭を志していました。

 しかし、この夢は人生と少しずつ変化してきたものでした。  幼少期は保育士、小学では初等教育教諭、中学では中学教諭といった感じです。  今思えば、目の前のものを夢だと錯覚していたのかもしれません。  実際、高校までの私の取り柄は勉学しかなかったのです。

 確かに部活動にも入り、中学時代から大学に至るまで、山岳関係の組織のリーダーをしていました。  しかし、元々持病も患っていた私には探検家や冒険家と言われるような職業に就くのも難しいと諦めていました。  その関連で興味を持った、クリーンエネルギー開発も夢のように見えて、実際はそこまでクリーンと呼べるだけのものでなかったり、環境問題の根本的問題が世間で言われているものでなかったりと、学べば学ぶほど幻滅していきました。

 大学に入って、研究をやるときでさえ、お金が絡んできたりと汚い部分が浮き彫りになり、そんなもののために学ぶこと、それを志す者を指導することが私の考えに反することが分かりました。

 この人生を歩んできて唯一良かったと感じたのは、その中でであった恩師や仲間です。  大学時代に、ボカロ好きの友人にあっていなかったら、この界隈にいないでしょうし、DTMに手を出さなければ作曲すらもしていなかったことでしょう。  現在、多くのコラボや企画を組んで、問題が発生することもしばしばではありますが、私はそういうことになったとしても、それで関わった方々は大切にしたいと思っています。

 そして、大元の私の生きる目的を考えるきっかけになったのも、その中で出会った方でした。  私が恩師と呼んでいる方です。  その方も音楽活動をされていて、CDデビューもしています。  恩師は大学で講師もされていて、生徒からは人気が高い方でした。  この人気は、所謂媚を売っているという訳ではなく、まっすぐな物言いと、謙虚な姿勢が作り出したものでした。

 私はその方が最初に生徒に問う質問に強い共感を持っています。  それは「何のために生きるのか」  私は、この質問を聞いて最初にものを作るために生きたいと答えましたが、それを詰めていくと自分のルーツにたどり着くことが出来ました。

 私はこの世の中を良くしたい、そのために音楽を選んだのです。

 教員を目指していたのもそこにあると思います。

 世の中を良くするというのは、私が生きている百年にも満たない短い期間では実現できません。

 しかし、クラシック然り、語り継がれている民謡音楽然り、音楽は時代を超えて私たちとともに有り続けます。

 その様な音楽を残してこの世を去りたいと思っています。

 生きるために、プロの作曲家というものを目指してはいますが、とりあえず生きれるならそれで良いとすら思っています。

 その想いを胸に一つ一つの曲と真剣に向き合って、今日も曲を作っています。  そんな私を今後もよろしくお願いします。

 百人に一人 億に一人 きっと届くことを (引用:不器用な人形 ボルタン feat.結月ゆかり)

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